
/
SNSクリエイターとして活躍する佐藤そるとさん。彼女が20歳のとき、お母さんが倒れてしまったそうです。つらい出来事を経て、わかったことを振り返ります。
\YouTube、Instagram、Xなどで発信するクリエイターのママとしての日常/
15歳から動画を撮影して投稿を始め、 SNSクリエイターとして活動してきた佐藤そるとさんの子育てエッセイ。 自身を気まぐれに生きてきた「社会不適合者出身」という彼女が「見た目よりずっと真面目で普通に子育てをする」日常を綴りました。
子育てに奮闘するママにも、ママになることに不安がある人にもおすすめの、読めば心が軽くなる等身大のエッセイです。
今回は「ママの子どもとして生きる幸せに気がついた」を書籍『社会不適合者だった私がママになった話』(KADOKAWA)から抜粋してお届けします。
私が20歳の頃、ママはクモ膜下出血で倒れて危篤状態になりました。
私の妊娠が分かったのは、それから約半年後。
しばらく目を覚ますことがなかったママは、その頃には回復して自宅で過ごせるまでになっていました。
とはいえ、倒れる前と同じような生活はできないし、記憶障害も残っているから、孫が誕生したこの状況をどこまで理解しているのかは分からない。それでも私は、「このまま意識が戻らないかもしれない」とまで言われたママが目を覚ましてくれたことが、すごくうれしかった。
だけど、こんなにも早い時期に大切なママが倒れてしまったという事実は、私の心にとてつもなく大きなダメージをもたらしました。
ある日突然、ママが目の前からいなくなる可能性もある。そんなシビアな現実に衝撃を受けたんですよね。
当時の私は20歳。
すでに成人していたとはいえ、しかも、その後すぐに妊娠して母親になるとはいえ、まだまだ子どもでした。
(佐藤そるとさんInstagramより)
「ママの子どもとして生きてる」っていう安心感に支えられていたし、生まれてからずっとそうであったように、これから先もずっとママの子どもとして、守られながら生きていくものだと思っていました。
でも、当たり前のことなんだけど、そんなわけはないんですよね。
ママが倒れてはじめて、「子どもとして生きられるって、幸せなことなんだな」と気がついたんです。
こうして私は、20歳の頃からママに守ってもらうことはできなくなりました。
ママに頼りたいのに、頼れない。これまでに経験したことがないほど、孤独で心細い気持ちになりました。
そんなとき私に、手を差し伸べてくれた人たちがいたんです。
ダンナやお義母さん、事務所の人たち、そして、友達……。
ほんとにたくさんの人たちが、私を助けてくれました。まるで母親のように温かく私を守ってくれる人たちがいて、そのおかげで私は、産後の大変な時期もなんとか乗り越えることができたんです。
人はいつまでも、子どもとして生きられるわけじゃない。
けれど、自分を守ってくれる親がいなくなったからといって、すべてをひとりで乗り越えようと思わなくてもいい。頼れる人の力を借りて、頼りながら生きていけばいいんだと思っています。
=====
この続きは、ぜひ書籍でご覧ください。
※本記事は、『社会不適合者だった私がママになった話』著:佐藤 そると/KADOKAWAより抜粋・再編集して作成しました。
この記事のライター
マイナビウーマン子育て
0
「マイナビウーマン子育て」は、働く女性の恋愛と幸せな人生のガイド「マイナビウーマン」の姉妹サイトです。結婚後ママになりたいと思っている人や現在0歳から6歳までの子どもを持つママの、日々の不安や悩みを解決するお手伝いをしています。
恋愛・結婚の人気ランキング
公式アカウント